2012年9月1日

大阪時代(四二)

今、思い返してみても、本当にあの時は、不安で不安で、恐くて仕方なかったなあ。
とにかく一番信用してないのが、自分自身なんだからしょうがない。馬鹿で阿呆でオッチョコチョイで。
ただひとつ、真面目にやる、と言う事だけは、取得だから。真面目にやってさへいれば、何ンとかなんだろ、これしかない。
しかし、真面目なのは俺の専売特許じゃない。普通は誰でも真面目だろう、何を言ってんだろオレは・・・しかし、もう賽は投げた。
どうしたった後戻りなんぞ、出来る筈もない、何ンとかなんだろ、コレしかない。

「夏の石門洞」


と言う訳で「お父ちゃん、ワシ、東京行って役者になるわ!まだ二次三次と試験あるみたいやけど、
落ちたかて、何ンとかやってみるし。」「そうか、オーやれやれ!ワシかて、若い時に家飛び出して、
東京行った。鈴木伝明言う役者の弟子になろう思てな。当時お前二枚目で、そら人気あったで!
「東京へ来い!」と言われて行ったんや。ほんでお前、東京駅に着いた途端に、巡査が「君の捜査願いが出てるから、次の汽車で大阪へ帰れ!」言われて、ワシも泣く泣く諦めたんや! お前もワシの血
引いとんのや、オーやれやれ」と何ンともお気楽な返事。
兄キは苦虫を噛み潰した顔をしてる。オフクロにも「まあ、そう言こっちゃから、仕送りは毎月、必ず
するからな」
一杯機嫌のおっ母サン、「ああ行け行け〜行って来い」これで終了。
後は住む処の問題である。

石倉三郎