2011年7月1日

大阪時代(二八)

「今度だけは必死やねん!行かしてくれや東京に。頼むわ、仕送りも絶対するし。 役者やらしてくれや!」
言った!ついに言った!さあ、もうどうにでもしろって感じで兄貴を見ると、「お前の阿呆さ加減には、ホンマに参るなあ。俺は知らん。もう勝手にせえや!」
え!、承知してくれたんか?ヤッター!!飛び上がりたいのをガマンしていたら、「そのかわり判ってるなあ。お母ンに仕送せなあかんぞ!」「分かってるわ!絶対にかかさずするから。」

「賑う大阪松竹座前」


案ずるより生むが易しとはこの事だネ。しかし十代の頃の小生なんてモノは、余りにも頼り無く、余りにも甘ったるい。尤も今現在が甘くないのか?って言われりゃあ、「へへ、自信はありませんけどね・・・。」
まあとにもかくにも、一件落着、後は明日の専務さんへの言い訳だ。さて兄貴も勤めている会社でもあるし、兄貴の出世の邪魔になったらまずいなあ。さてさて、どうしたモンかと逡巡していたら、「明日、俺も一緒に謝ったるから。全くエエ加減にせえよ。それでお前、東京行って、何処に住むんや。金は?」「それはOKや!明日から会社辞めたらバイトを二、三軒して、金貯めるから。」「そんなモン、お前何年かかんネン?」
「とにかく20才になる迄には何んとかと思てんネン」

石倉三郎