2018年2月1日

東京番外地(百七)

 で、夜中明け方まで呑んで歩き、昼間はグッスリ寝てるという、誠に非生産的なだらけた生活に戻り。あ〜あ、どうしたモンかなあと。すると一ヶ月程過ぎたある日、電話が鳴った。坂本九サンである。「オー、サブか、どう元気か?仕事はやってるか?何してる?」「ハイハイ、只今無職です!」「そんな感じがしてたよ、実はさあ、俺の司会、ショーの司会やってくんないかあ?」「ハイ?司会?私が司会ですか?」「そうだよ、どうだヒマなんだろ?」「いやしかし、俺司会なんて、やったことないですし、ましてや九サンの司会なんて、無理ですよ!ダメですよ」「何、大丈夫だよ。段取りは俺が教えるから。じゃとにかく今から家に来いよ、じゃな」「あ!一寸まって下さ」チャンチャンです。実にドーモ有難いお話なんだけど、全く怖い話で、あの天下の坂本九サンの司会!?だなんて、身が竦みましたな。ドキドキしながら九サンの家へ、年の娘の花子チャンが生まれたばかりで、後何ヶ月かしたら引っ越すという頃で、何かバタバタしていましたな。事務所関係の人やら何やら、やたら人が出入りしていて、とにかくやらして頂く事になった。九サンとの出会いは、東宝日比谷宝塚劇場での、”雲の上団五郎一座”の公演で御一緒して、その後新宿コマ劇場で”エノケン、ロッパ物語”で付き人を頼まれて以来で、二、三年振りだろうか、とにかく、オッカナビックリ司会の生活が始まった。時の九サンの事務所の社長は「九チャン、あの司会の子はダメだ。ガラが悪すぎる。九チャンには合わないヨ」

石倉三郎