2013年2月1日

東京で(四七)

何んとも歯切れが良くて、明るくていらっしゃる。
あゝ明るく云われると、人生考え過ぎは良くネーなっとシミジミ
思われてくるから不思議だネ。そんなこんなで、仕事が終る
と次の劇団探し。それで見つけては応募して。しかし、受験料や何やらの金がない。
仕方ないから暫時あきらめて、又、来年だな。それ迄ブラブラ東京を楽しもう!
なんぞと、テメーに都合よく考え、お袋に仕送した後は、Wさんにいくらか
部屋代を払い、後は、ったっていくらもありゃしない。

「NHKロケ、我が小豆島にて」


多分、この最中屋での給料は、一万二・三千円位だったかなあ。
大阪でのそれよりも安い!この頃、お袋には三千円程送ったのかなあ。
安い金だが仕方ない。一人暮しで色々かかるし、今思うと
この頃から一日一食だったのかなあ。でまあそんな或る日の日曜日、
パートのオバハン等が云っていた、その「青山なる処へ、行って見るべか」と
山手線を原宿で降りた。原宿ったって当時は、何んもありゃしない。
鄙びた処で、ココも今と比べりゃ、隔世の感があるネ!
でトロトロ歩いて青山通りへ、昭和三十九年の東京オリンピックで、
グンと広くなった通りだ。昔は都電が走ってたらしい。その広いカッコ良い通りを、
渋谷宮益坂から赤坂見附あたり迄の通りらしいのだが、ケッコー長い距離だ。
そこを当ても無く只々、ウロウロして行ったり来たり。
オバハン!どこにスターサンが歩いとんじゃ!!なんて苦笑いしながら歩いたネー。
いやいや懐かしい思い出です。

石倉三郎