2009年7月1日

小豆島で生まれて。(四)

大体に、大人というモノは、子供の切羽詰まった問題を
非常に軽く考えてくれるネ。
こっちは必死の覚悟で訴えているのに、実に軽くいなしてくれる。
何故持ってこれないかを、前もって云ってるのに、
教室で皆の前で恥かしさに耐えられないから、
「何とか来月は払えますから今月は待って下さい」と
母親に聞いた毎月の決まり文句を、絶望の思いで訴えているのに、
「判った判った」と、了解してくれたのに、
教室に入って来て出席簿順に持ってこなかった生徒達を呼んで、
呼ばれた生徒は、云い訳をあれこれ云うのだが、
全くまあ、今思い返しても、嫌な時間だったですなあ。
いつもその頃思ってた事は、
ワシは孤児で、大阪か東京で、靴磨きか何かしながら
一人で生きていたかったなあと。
なまじ親がいるせいで、こんな恥ずかしい思いをせないかん!と、
まあ、親にも教師にも世間にもムカムカしてましたね。
今思うと、わずか10才か11才で。

「肥土山農村歌舞伎舞台」


、、、で、まあ漸く卒業式お迎えて、謝恩会というんですかネ。
教師や親達に、御礼の意味で生徒達が何か出し物を考えて披露するという、
実にドーモ納得できないモノが有って、それぞれ自信の有る子供達が、
お世話になった先生やPTAの人達に喜んで貰う為に
ヨイショしようという事なんだろう・・・・・と。

石倉三郎