2009年12月1日
この英語教師との件は、本当にベンキョーになりましたな。
いくら、こちら側が凄い、あるいは楽しい、面白い、と思ってた処で
相手側には毛程も伝わってないのだからネー。
まあてな訳で、不可ばかりの内海中学校を一年で終える頃、
我家もヤッパリ親子は一緒に住まなあかんやろ。という事で
父母のいる大阪へ行く事になった。
勿論不安だらけなのだが、この島にいるより悪くならないだろう、なんてネ。
夜の十二時か何かの船に乗って、翌朝八時位に大阪天保山に。
港近くの定食屋で、飲んだお茶の不味い事。
この水に慣れなアカンのやなぁと、戒めましたな。
兄キから、「大阪で住む処は狭いからな覚悟しとけよ」
と云われてはいたのでのだけれど
イヤハヤ着いてビックリ驚いた。
「大阪松竹座楽屋にて」 |
いや狭い、なんぞという生やさしいモンじゃない。
家主との間に襖一枚隔てただけの四畳半あるかなしかの部屋。
ここに親子五人ですぜ。もう何だかオカシクなって来て、
笑ってしまったら、親父が気の毒だから俯いたけれど、
正直者の姉が「エーッ!何コレここに住めんの?」
デリカシーが無いのよ、この姉は。
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