2012年10月1日

大阪時代(四三)

金なんかある筈がない。
コレはいつもの事。しかし住む処がなければ、どうしようもないし、東京は物価も高いと聞いてる。
ウ〜ン、固まった。僅かに持ってる金は、5万円程。必死で貯め込んだものだ。
当時、給料1万7、8000円位だったかなあ。新幹線はこだまが一番早くて、東京―大阪間4時間くらいだったかな。
料金は失念したけど、ま、それやこれやマイナスイメージばかりが、頭に浮かんで、こいつあ、マズイ!やっぱり行くのは、もう少し金を貯めてからにするか、しかし今、勢いで気の熱いときに行かないと、又、弱き虫が出ると難儀だし、どうしよう、どうするかと、逡巡してるとき、鬼の兄貴から「お前、住む処どうすんじゃい!当てなんかないやろ。 とりあえず内の会社の社員寮が新大久保にあるから、そこ行け!そこは下宿屋で、大家サンは最中屋さんやから、真面目に頼んで、バイトさして貰え。部屋が無かったらワシの後輩でWと言う奴がおるから、こいつは一人部屋やから何ンとか頼んだるから。」

「出待ちの一服」


イヤー持つべきは兄貴だネー。
Wさんなら、俺の先輩だった人。渡りに舟とはこの事だ。
「スマンけど頼むわ」ってんで、もう全てクリアー!イヤモー嬉しいのなんの!
後は勤め先に辞表を出すだけ、それで一月イッパイと言う訳で会社を辞した。先輩同僚達はそれぞれ色々言ってくれたが、俺の決意は固い。ただ一人応募写真を撮ってくれた後輩は、「ワシも絶対東京行くからな。頼むでー!」とか何ンとか言ってたが、「ヨッシャヨッシャまかさんかい」・・・と。どこ吹く風。

石倉三郎