2015年6月1日

東京で(七五)

 ワタシが先に東映を辞めたのか、彼が先だったか忘れましたが、アノ当時、手前の頭のハエを追っ払うのに必死で、他人様の事までネー。
 しかし、やっぱり顔が良いだけでも勿論駄目、カッコ良くったって、そんなモン犬のエサにもなりゃしない。当たり前だネ。芝居ですヨ演技ですわな。乗っかったMも浅ハカだが、乗せたプロデューサーもネー。
お蔭でこっちは生きた勉強させて頂きましたよ。只この時の勉強が現在生きているのか、と間われれば、済みません。勘だ心もとなく、慚愧に耐えやせんですが。
ま、暗い話はよしましょう!世の中パッとネ。パーっと行きましょう。のり平師も云ってますから。

「オールアップ」


 当時、東映だけでも年間四十何本という作品を世に出していて、京都撮影所がメインだったが、東京もそれは活気に満ちていた。最末端の小生なんでも小忙がしく頑張って、常時2〜3本の仕事があり、あっちの組(ヤクザの組ではアリマセン!監督の名前。私が監督なら石倉組と云います)で立ち廻りやって、コッチの組では警官隊の一員、終って翌日は通行人、そば屋の出前持ち、キャバレーの客etc。その他大勢と云うモノは何ンでもかんでもです。
大阪の友曰く「お前が出てるて云う映画、何べん見てもお前おれへんやん、どこに出てんねん?」「ウ〜ンワシも苦しい処や」何が苦しいんだかね!!
ま、お蔭様で何ンとか今、当時が笑い話になれたから、少しホッとしておりますが。

石倉三郎