2017年10月1日

東京番外地(百三)

 てな訳でして、バイトを止めて芝居の道一本に絞って歩き出しました。昭和47〜8年頃のギャラはウロ覚えですがネ、六、七万位でしたネ、一ヶ月公演で、これはまあ同年代のサラリーマンの方々と比べてそう変わらないのかなあ。しかし、例によって年に多くて五本位だから、当然喰ってはいけない。それでも平気の平左ェ門!何て事無く暮らしてましたな。まあ、借金なんぞも随分こしらえてましたが、まずは飲み屋。よく飲ましてくれたもんですヨ。借金だらけなのに、バイトやってる頃は、借金なぞした事なかったのに。歳取る度に借金が増える。所謂右肩下がりと云う奴。バイトを止めただけで、金は無いが気分はスッカリ一人前の役者のつもり、仲代達矢さんが何年か前のテレビのインタビューで、「我々役者と云うのは皆、貧乏ですからねえ。」と仰ってましたが、正にまさにですな。歌い手さんならヒット曲何本かで生涯食えるでしょうし、お笑い芸人さんなら、今云うところのバラエティー。役者はドラマ一本一時間作るとなると、だいたい一週間拘束され二時間ドラマだと、ほぼ半月取られる。バラエティーだと二時間物でも、まあ、三、四時間で終れる。まさに、かけもち出来ますわな。セコな話、ギャラに換算したら雲泥の差になる。よしましょう、淋しくなりやすから。閑話休題!
 ま、まだこの頃はユメもキボーも少しは、有りやしたが、とにかく成り行き人生!俺は才能はネーけど運だけは強いから!と。

石倉三郎