2017年8月2日

―東京国際映画祭 ③―

 映画祭のオープニングでは、安倍首相とメリル・ストリ-プが並んで挨拶に立って華やかな滑り出しを見せた。メリルが主演するマーガレット・サッチャーの伝記映画『鉄の女』を引き合いに出しサービストークをする安部首相に対して冷ややかな笑みを返すメリルが印象的だった。ハリウッドの映画人のほとんどはリベラル左翼である。おそらく一時吹聴された「安倍は右翼。歴史修正主義者」という中国によるプロパガンダを鵜呑みにしていることは想像できた。そして、ヨーロッパからのゲストのほとんどがそうであった。
安倍首相の挨拶を控え室のモニターで見ていたという外国人ゲストから一斉に笑いが出たと苦笑していたのは日本の映画人関係者。
「いやぁ、俺も安倍嫌いなんだよねぇ」と卑屈に笑いながらその模様を話される。一体全体どうしたことだろうか?。主義主張の違いはあれど、自国の首相が笑われているのに何故そんな外国人にへりくだる必要があるのだろうか?。僕が、そう意見すると、「橋口、日本の映画人はノンポリなんだよ」とお茶を濁された。いやいや、そういう問題ではない。
僕が尊敬する日本人映画監督のお一人は、「このままだと映画が作れなくなる」と真顔で話される。最初は何のことやら分からなかったのだが、左翼が伝播した『右翼の安倍による言論、表現の弾圧』といったプロパガンダによるものだろうと想像する。しかし、その監督は今も作りたいものを作っているわけでだが、この何となくそう思わされている状態が、森友、加計、豊洲と、さも安倍首相に問題があるかのようなデマで騒ぎ立てる一連に至っては異常の一線を通り越して破滅的だ。
 左翼の手口としては、嘘を流布し人々の心を惑わせて、人と人の繋がりを断って弱らせていくことにある。先のことで言うと、「森友、加計問題にしても何が問題かよく分からないけど安倍首相が何か悪いことしたんだよね?。政治家だし」と思っている人が多いのではないだろうか?。
 僕自身、この手口の被害者である。加害人は、ゴリゴリの左翼である。
皆さんの中で「映画監督って普段どんな生活をしてるの?」「欝ってどういう病気なの?」と聞かれてまともに答えられる人はいないと思う。映画監督を例えて、よく鬼才と言うことがある。鬼の才能とは凄いこというなといつも思うのだが、何か天才的な才能を持つ人は常軌を逸しているはずだ。つまり狂人だから凄い作品を生み出せるんだ。という思い込み。こんな、何となくそう思っていることに付け込む。付け込んで煽る。自らは橋口の味方であるという顔をして。そして、それを担保したのが朝日新聞のアエラの記事である(これについてはいつか触れたい)。何おか言わんやである。
結果、何が起こったかというと、僕は印税を盗まれ、それを周囲に漏らしてもほとんどキチガイ扱いされて誰も信じてはくれなかった。
「あんなに橋口さんを大切に思っている〇〇さんが、まさかそんなことするわけがない。
アエラにも橋口さんが精神的に問題があるように書いている。やっぱり橋口さんはおかしくなって在らぬことを口走ってるんだ」という具合である。
僕は、生活を、人生を壊されほとんどの友人を無くし回復不可能と言える状態までとことん追い詰められた。今も交流があるのは、当時僕のことを信じてくれた人たちだけである。
 人間の殺気を感じて背筋が凍る経験をしたことが2回ある。一度目は、北千住に在住の頃、誰もいないジムの風呂場の浴槽に腰掛けてボーっとしていた時だった。突然、異様な寒気を感じて何事かと慌てて見ると、当時、WBCのフライ級王者だったユーリ・アルバチャコフ選手が入ってきたのだった。その頃の僕は熱心にボクシングを観ていたものだから、「これが俗に言う殺気というものか。さすがチャンピョンは違うな」と痛く感動したものだった。
 そして、二度目は先の体験の中で加害人が僕に対して死ねと言わんばかりのある態度と接したときである。王者の殺気とは違い、こちらは黒い殺意である。背筋が芯から凍る想いだった。

〈次号へつづく〉