1962年生まれ。長崎県出身。
92年、初の劇場公開映画『二十才の微熱』は、劇場記録を塗り替える大ヒット記録。
2作目の『渚のシンドバッド』(95’)は、ロッテルダム国際映画祭グランプリ他、数々の賞に輝いた。
人とのつながりを求めて子供を作ろうとする女性とゲイカップルの姿を描いた3作目『ハッシュ!』(02’)は、第54回カンヌ国際映画祭監督週間に正式招待され、世界69各国以上の国で公開。国内でも、文化庁優秀映画大賞をはじめ数々の賞を受賞。
6年振りの新作となった『ぐるりのこと。』(08’)は、女優・木村多江に数多くの
女優賞を、リリー・フランキーには新人賞をもたらし、その演出力が高く評価された。
7年ぶりの長編となった『恋人たち』(15’)は、第89回キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得したほか、数多くの映画賞に輝いた。
2020年01月09日
2019 年後半はユーチューブでワークショップの動画を UP するCHを立ち上げました。CHは完全ボランティア、100%持ち出しでやっています。有志数名が手弁当で2~3週間に一回集まって皆で編集作業をしています。動機は、「面白いもの観たから伝えたい」ただそれだけです。一銭にもなりません。将来、これら動画の中から大スターでも生まれればアクセスも増えて私にも小銭が入るでしょう。
参加した多くの役者の皆がぜひスターになって、私をユーチューバーとして生きていけるようにしていただきたいものです(笑)。
私の役者との付き合い方には緩やかな決め事があります。
出演舞台の招待、自主映画を見てくれ、脚本を読んでくれ、コメントを書いてくれ、事務所を紹介してくれ、飲みに行こう、そして枕営業の類(笑)の申し出は基本的にお断りしています。これは、デビューして27年変わらないスタンスです。役者との個人的な付き合いはほんの一部の人を除いて個人的なお付き合いはしていません。しかし、今までお仕事をした役者さんと久しぶりに再会しても昨日別れたばかりのような距離感でお会いすることが出来ます。それは、お互いの仕事に対するリスペクトが根底にあって、作品を作るという共通の目的で繋がっているからです。
私はワークショップ参加者、現場で仕事する役者も変わらずにオープンに接しますが、中には特別扱いを求める人も稀にいます。こういった自意識の持ち主が後々不満を述べたり中傷したりしてきますが、それは返って役者としては損であると思いま
す。
デビュー当時から私に対する悪評の噂が時折耳に入ってきました。出所を探ると、大抵はオーデションで落ちた人や、現場で結果を残せなかった人です。或いは映画を見て、「あの演技を引き出すには、役者を相当追い詰めていじめているに違いない」と言った根拠のないデマです。哀れです。他者を貶めて自分の何が肯定出来るというのでしょうか?。こういった人たちは一生何者かになれることはないでしょう。私には関係のない人たちです。
オーディションであるハンサムな役者をゲイバーの脇役の一人に選びました。後に彼はゲイであることをカミングアウト。彼の私への近い態度から「ああ、男使ってきてるな(私がゲイの監督なので)」と分かりました。ある時、彼が友人と電話をしている会話が耳に入りました。
「いやぁ、ホモの役なんだよ。まいっちゃってさ」と。耳を疑いました。怒りというより心底落胆しました。役者という仕事にも、ましてや自分自身さえも恥ずかしめている。こういう人の〝正体″はどこにあるのでしょうか?。私たちの仕事は報われることは少ない。綱渡りのような、何か掴みどころのないものを追い求めるようなものに人生を費やしているわけです。ましてや、名声や金というものとそう隣り合わせの世界に身を置いている。堕落への道は常に開かれているのです。いかに細い峰を堕落の両壁を転げ落ちずに登りきるのか?。
故小林秀夫氏の言葉で若い役者によく話すことがあります。
「人は美しい風景を観た時に〝何て綺麗なんだろう。まるで絵のようだ。″と感嘆の声をあげる。絵描きの仕事はその言葉に出来ない何かを形にすることだ」と。
この〝絵描き″という言葉は、簡単に役者、映画監督という言葉に置き換えられます。人の世界にある美しい何かを形にしたい、そういう欲求が私の映画作りの根底にあるわけです。私生活がゆるゆるな分、映画に接するそういう態度だけは固辞して峰を渡
っていこうとしているのです。その〝一線″の線引きだけは見失ないたくない。そうでないと自分の正体を無くしてしまうからです。