年末年始号

ローマの休日

 映画を見始めた中学生くらいの頃は、『キングコング』『大地震』『タワーリングインフェルノ』といったパニック映画が大ブームだった。映画館に行くには、それなりにハードルもあった。生徒手帳には、父兄同伴でなければ映画鑑賞禁止と書かれてあったし、映画館のはしごをするにはお小遣いも足りなかった。
ちなみに、当時は洋画系の映画雑誌(『ロードショウ』や『スクリーン』)などを親戚の前で読んでいると、「また亮輔は、そんなもの読んで」と注意されたものだった。だから、もっぱらの映画鑑賞はテレビの映画番組だった。
 長崎では、『月曜ロードショウ』『日曜洋画劇場』、少し遅れて『水曜ロードショウ』が始まったが、『木曜ロードショウ』、土曜日の『ゴールデン洋画劇場』などは放送されていなかった。
映画雑誌のラテ欄で、『ゴッドファーザー』がノーカット初放送などと宣伝されていても、長崎では放送されないことが多く、映画好きの友人と悔しがったものだ。
しかし、年末年始になると、放送されなかった映画がまとめて深夜枠で放送されることもあった。『2001年宇宙の旅』『スティング』『サウンドオブミュージック』などもテレビで観た。NHKでも、当時は盛んに昔の映画を放送していて、『駅馬車』『真昼の決闘』などの白黒映画も逃さず観た。
ビデオもない時代、テレビでの映画放送は、特別なごちそう感があった。ワンシーンでも見逃すまいと、トイレに行くタイミングにも万全を期してテレビの前に座っていた。今とは、集中力が全然違った。たとえカット版や吹き替え版であろうと、一本の映画がから得るものは、当時の方が多かったのではないだろうか?。
 お正月に繰り返し放送されていた映画に『ローマの休日』があった。
 映画の場面を思い出すだけで、何とも素敵な気持ちになる永遠の名作だ。この映画を観ると、まだ自分にとって世界が単純だった頃に素直に戻される気がする。
「映画って楽しいな。素敵だな。オードリー・ヘップバーンって綺麗だな」。そんな事を思い返すと、自分はこんな風に映画に出会い、映画が好きだったんだなと改めて気づかされる。
 映画を目指す若者や、役者になりたい若者と、ここ数年ワークショップを通じて関わっていると、よく質問されることがある。
「映画って何ですか?。芝居って何ですか?」と。そんなことは僕にも分からない。
 ついこないだまで、ワークショップを元にした映画の撮影をしていたのだが、その撮影でも答えは見つからなかった。
昨日まで出来た芝居が今日は出来ない。さっきと同じことをやっているはずなのに、その演技には命がない。何が作用して、一つの演技に、場面に命が宿るかなんて全く分からない。そうかと思うと、ある瞬間生き生きと、キラキラと役者が輝き出すこともある。
だから、質問されると苦し紛れに『ローマの休日』の話をする。
 ある国の王女様が、公務にうんざりしてローマの街に抜け出すと、そこで、ある新聞記者と出会う。二人は、数日間一緒に過ごすうちに恋に落ちてしまう。しかし、王女様は、自分の場所に戻らなければならない。やがて別れがやってくる。
映画のラストシーンは、王女様の記者会見の場面だ。
王女様は、「ローマは素敵でございました」などと社交辞令を言いながら記者達に挨拶して回る。そこに、あの新聞記者がいる。表面上は何でもない挨拶を交わして笑顔で別れる二人だが、観客の僕たちには別の声が聞こえてくる。二人だけの心の声が。
王女「あなた、新聞記者だったの?」
記者「ああ、そうなんだ。実はスクープが欲しくて黙っていたんだ。ごめんよ」
王女「いいえ、いいのよ」
記者「このローマで、君と過ごした数日間は本当に楽しかったね」
王女「ええ、本当に楽しかったわ」
記者「でもお別れだね」
王女「そうね、お別れね」
記者「僕は、君のことが・・」
王女「私もあなたのことが・・」
記者「元気で」
王女「あなたもお元気で」
記者「さようなら」
王女「さようなら」
 そんな字幕なんてどこにもない。画面上の演技でもそんなことは描かれてはいない。しかし、僕らには二人の気持ちが手に取るように分かる。何故なら、僕らは、二人が過ごしたローマでの数日間が、どんなに素敵で、どんなにかけがえのないものだったかを知っているからだ。
「それが映画で、それが演技なんだよ」と若い役者に説明すると、頷く者もいれば、ポカンとする者もいる。話している僕自身がよく分からないのだから仕方ないが、それぐらい映画を作ることも、演技も難しいということなのだ。
映画の中の二人は、何も言わずにそのまま別れていく。だからこそ、この映画は永遠の名作になり得た。僕が、こんな映画を作れる境地に辿り着けるのはいつになるか。もしかしたら一生無理かもしれない。
この映画を観ると、映画を観ることが喜びだった幸福と、映画を作ることの難しさと苦さを同時に感じて胸が一杯になる。