1962年生まれ。長崎県出身。
92年、初の劇場公開映画『二十才の微熱』は、劇場記録を塗り替える大ヒット記録。
2作目の『渚のシンドバッド』(95’)は、ロッテルダム国際映画祭グランプリ他、数々の賞に輝いた。
人とのつながりを求めて子供を作ろうとする女性とゲイカップルの姿を描いた3作目『ハッシュ!』(02’)は、第54回カンヌ国際映画祭監督週間に正式招待され、世界69各国以上の国で公開。国内でも、文化庁優秀映画大賞をはじめ数々の賞を受賞。
6年振りの新作となった『ぐるりのこと。』(08’)は、女優・木村多江に数多くの
女優賞を、リリー・フランキーには新人賞をもたらし、その演出力が高く評価された。
7年ぶりの長編となった『恋人たち』(15’)は、第89回キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得したほか、数多くの映画賞に輝いた。
2013年4月1日
ここ最近、若い役者のためのワークショップというものをやっている。様々なキャリアの人たちが集まるが、中にはズブの素人もいる。
あるワークショップに、こんな青年がいた。28歳フリーターで童貞、両親と3人暮らし。女の子の手を握ったこともない蚊の泣くような声で話す小柄な青年だった。
そのワークショップでは、男女一組のペアになってもらい、四日間を通して即興で恋愛劇を創っていく予定だった。最初にネルトンをやってもらい、フリータイムの後、男子が女子に告る流れだが、その青年は、稽古場の片隅にポツンといて女子に近づきさえしない。僕がうながしても頷くだけ。「どうしたもんかな?」と思案していると、一人の女性が話しかけている。
その女性は独身の37歳。多少のキャリアはあるものの、控えめで地味な印象の方だった。
お互い他の異性と話さなかった二人は、そのままカップルとして成立した。
翌朝、その青年はパリっとした真っ白いシャツで現れた。それを見たとき、僕は「ああ、こいつ変わりたいんだなぁ」と思った。
28歳で芝居はまったくの素人。所持金は、千葉の実家から代打橋の稽古場の往復の電車賃のみの人間が、3万円の受講料を払いプロに混じってワークショップを受けようというのである。ここから本気で役者を目指そうというのではない。この青年は、今の自分を変えたかったのだ。
エチュード(即興芝居)が始まった。他の組は順調にカップルとしての関係性を重ねていくが、先の二人は遅々として進まない。
彼女の部屋に遊びに来ているという設定で始めても、「僕、実家が遠いから帰る」なんて言うから何も始まらない。そんな彼に、僕はある詞を読ませた。詞の内容よりも大勢の人間たちの前で大きな声を出すことが彼には必要だと思ったからだ。
最初は声など出ない。何度も何度も繰り返えさせた。そして、最後には声を裏返しながら最後まで読みきった。おそらく、人生で初めて人の前で大きな声を出し、何かを伝えるということをやったのだった。その場にいた40人の参加者全員が泣いていた。
すぐにエチュードの続きをやってもらった。彼は、顔を紅潮させ肩で大きく息をしていた。ちょっとした賭けだった。「変わるかな?」と見つめていると、突然、しっかりと、意思のある、大きな声で「俺、君のことが好きだから!」と叫んだ。人が変わった瞬間だった。
変わりたいと本気で思っている人間は、少しのきっかけで大きく変われる。人前で声をだすという単純なことだけで。
ワークショップ最終日。それぞれのカップルが恋愛劇の結末を演じていった。先の二人は、彼が千葉在住ということもあり、何故かマザー牧場にデートに行くという設定で始まった。「何か食べる?」「うん」という何でもないデートのやりとりの後、二人は椅子に座ると黙って上を向いていた。たぶん、牧場の青空を二人で見ていたのだ。
カットをかけようかな?そう思った時、青年がすっと彼女の手を握った。彼女は、黙って空を見たまま、小さな、本当に小さな声で「ああ、良かった」と呟いた。
美しいと思った。そんな気持ち人間にはあるなぁと素直に思えた。エチュードの出来とか、芝居のレベルにしたらまったく不出来な二人だった。しかし、不器用ながら数日間お互いに精一杯気持ちのやり取りをしたからこそ生まれた瞬間だった。
人に何かを伝えることの難しさ、伝えることの大切さ。芝居の原点を見せてもらったような気がした。
テクニックがあるにこしたことはない。上手ければより多くのものが伝えられる。
しかし、本当の気持ちがテクニックを越えてきたとき、何より強い表現となる、と僕は思う。彼ら二人に同じ芝居を要求しても二度と出来ないだろう。だが、その二度とない瞬間、そういうものを撮りたいといつも考えている。