2015年8月1日

害虫駆除

 上京してから様々なアルバイトをやったが、中でも異色だったのは害虫駆除の仕事だろう。白蟻、ダニ、ゴキブリ、蜂、ネズミと、ありとあらゆる害虫を駆除する。汚れ仕事で、イメージも余りよくないので若いアルバイトが中々長続きしないのだが、そんな仕事でも割と気にせず黙々とやる性分の僕は、1年半近くやった。日給は6千円だったか?。当時でも余りいいとは言えなかったが、週払いで休みも取りやすかったので、自主映画をやりながらの身としては都合が良かった。だが、何より普通の人が行けない場所に行けたり、様々な人に会えることが面白かったので、人間観察も兼ねて働いた。
 駆除に使用する薬剤は、いわゆる劇薬でゴキブリなんか瞬殺だった。それを家ダニ消毒にも使うのだが、ダニの場合は精神的な問題も絡んでいる依頼者が多かった。「強い薬だからこれ以上使えないんだよ」と諭しても聞き入れないお婆ちゃんもいて、家中薬をバケツで撒いたような状態になって強烈な異臭で息もできないほど。それでも、「安心できない。もっと!」と言う。
 某・ターミナル駅に隣接する地下飲食街には、ネズミの駆除に行った。そこには、使われていない古い地下鉄の坑道があって飲食店街の裏口と直結している。驚いたことに、いくつかの店舗は、自分の店の裏の壁をぶち抜いて生ゴミをその坑道に捨てていた。ネズミにしてみたら出入り自由の天国だ。そんな状態で駆除してくれもないものだ。ネズミ捕りの粘着シートを仕掛けていて猫ほどのドブネズミに飛びかかられた時は怖かった。以来、その駅の飲食店には入らないようにしてきた。
 団地やマンションの全館消毒は、戸数が多いので時間との戦いだ。ポンプを持って各お宅を回り部屋の四隅に薬剤を散布していく。
ある高輪の高級マンションの作業では、ショックなことがあった。13時開始の予定で、ドアの前で待機し、チャイムを押すと、中年女性が出てきて「1分過ぎてる!」とクレームが始まった。消毒のため部屋へ上がろうとすると、叫び声を上げる。
「あんた達なんて、どこで何してるか分からないんだから汚い!」と。他人から「汚い!」と侮蔑の言葉を浴びたのは初めてだった。まだ、僕が25歳くらいのころの話だ。露骨な差別意識というより、ほとんど病気だと思う。こういう人、現在の方が増えていると思う。やっかいだ。
そうかと思うと、いかにもお金持ちの大邸宅の仕事終わり。応接室へ通されお茶を出される。「汚れてますから」と遠慮して床に正座していると、「そんなこと気にしなくていいのよ」と高級なソファに座るようにすすめられ、お客様用のゼリーを出してくれる優しい人もいた。
 ある金物屋では、「若いのにこんな仕事して偉いね。うちの娘と結婚しないかと?」と、店の奥から娘を引っ張り出して来て、店主から口説かれたことも2度ほどあった(笑)。
 エキサイティングだったのは、インド大使館の職員のマンションにゴキブリ駆除に行った時だ。マンションに着くなり、管理人の爺さんが興奮してまくし立ている。案内されるままに部屋に入ると、インド人一家が硬い表情でキッチンに固まっている。奥さんは、憮然というか無表情というか、紫のサリー姿でテーブルについている。小さな子供も3〜4人いたか?。露骨に歓迎されていないので、僕は振り返り「いいんですかね?」と言うと、管理人は「いいんだよ!、やっちゃって!」と怒っている。相棒のおじさんも頷く。
 僕は、いつも通り、ゴキブリのいそうな箇所を点検する。しかし、その気配すらない。
 「いませんね」とおじさんに言うと、「いや、橋口くん・・いるよ」とおじさんの目が光った!。「その襖、破ってごらん」とおじさん。「え?、いいんですか?」。不吉なものを感じながら襖を上から下に一気に破ると、・・襖の中には1〜2センチサイズのチャバネゴキブリが、まるで柿の種を貼り付けたようにびっしりと。
僕は、叫び声を上げるが早いか無我夢中でポンプをピストンして薬をぶちまけた。記憶の中の映像では、何故か『エイリアン2』のリプリーと自分の姿が重なっている。
今も昔も、あんな大量のゴキブリは見たことがない。宗教上の理由でどんな小さな生き物も殺してはならない、とは言えよくあの中で暮らせたものだ。
 仕事の中でも一番ハードだったのが白蟻駆除だ。住宅の床下に潜って、全ての基礎の柱にドリルで穴を開け薬剤を注入していく。酸素ボンベのような薬剤の入った重いポンプを引き摺りながら床下を這って進んでいく。全身泥だらけになるし、防塵マスクをしていても鼻の穴の中も真っ黒になる。実際、床下に潜っているせいで腰が痛いのだと思っていたら、しばらくして尿管結石になって入院してしまった。
尿管は丁度腰の位置にあるから、石が溜まってくると腰痛のような症状に悩まされる。使い古しのマスクでは、多量の埃を吸い込んで結石になるのも当たり前かもしれない。
それでも続いたのは、一緒に働いていたおじさん達に良くしてもらったこともあると思う。吹きだまりといったら失礼だけど、どこかで食い詰めてこの仕事にたどり着いたような人もいた。
「あんたは歌舞伎役者みたいな顔してるんだから、こんな仕事辞めてホストにでもなってバリバリ稼ぎなよ。俺が兄ちゃんだったらそうするな」と心配してくれるおじさんや、「あんたと生い立ちが似てるから気になるんだよ」とお酒をご馳走してくれたおじさんもいたなぁ。時はバブルにさしかかろうという頃だったから、効率よく稼ごうと思ったら他に仕事もあったんだろうけど、そんな人情が居心地良かったのかもしれない。もう17年近く前のことだ。