2017年6月30日

―東京国際映画祭 ②―

 アジアの未来部門の審査員として参加する半年前の3月。アジアン・フィルムアワードという、中国のマニラで開催される映画祭があった。『恋人たち』は、作品賞として招待を受けていたので関係者と共に参加してきた。
もともと評判のよろしくない映画祭との噂は耳にしていたのだが、噂以上に最悪なものだった。
 先に笑い話をしておく。関係者への通達で開会式の始まる夜20時には会場に全員着席が必須。何故なら、アジア中に20時から生中継するからだという。しかし、始まったのは夜の22時半。忍耐の限界も過ぎたころ、主催者の中国人のオヤジが、挨拶に登壇した。
コメディアンの様な派手ないでたちのこのオヤジ。ネクタイが鏡ときた。照明を乱反射してうっとおしいったら。
「皆さん、私はアジアの映画祭に何が足りないのか分かった。それは、エンタティメントです!。この映画祭はエンタティメントを打ち出していきます!」とぶち上げて登場してきたのは6人組の女性韓流アイドル。見事な整形顔の女の子達が、口パクでずーっと2ステップで踊っている。「俺でも踊れるわ!」と見ながら思わず毒づいてしまった。
まあ、それもこれも許そう。しかし、一番問題なのは、この催しが映画祭の体を成していないことであるのだ。
 通常映画祭は、2週間の開催期間中、招待した映画を200本~300本を上映する。観客にチケットも販売する他、マスコミ試写なども行い、どんなすばらしい映画が招待されているかをアピールする。グランプリなどの賞を与える場合は、著名な映画人を審査員として招待し、世界に通用する才能を発見し、または話題作に賞を与えることで、その映画祭の存在価値を高めていく。世界中の映画祭が、映画の奪い合いをして生き残りに血道を上げている。
しかしである。このアジアン・フィルム・アワードなるものは、開催日がたったの一日。授賞式のみの映画祭なのである。観客はおろか、参加者全てが、ノミネートされている作品をただの一本も見ていない。どのような作品か確認しようもない作品に賞が与えられていく。
この映画祭の運営と日本からの招待客の世話に尽力するのが、東京国際映画祭の関係者達なのだ。その関係者に尋ねてみた。
「どういう作品選定なんですか?」と。
すると、「私たちは、本当に世界中の映画を5~6百本も見ていい作品を選んでいるんです」
では、最終的に賞を決める審査員は?。関係者は言葉を濁すが、結局はマカオの開発を任されている大富豪のオジサンが密室で一人で決定しているという。こんなものは、映画祭とは呼ばない。
 マカオと言えば、中国の経済特区。そこを牛耳る大富豪なら中国共産党員。アジア中から中国のために映画人を集めて賞を与える。
日本の関係者は、これが文化交流だとナイーブに信じてお金と人と日本映画人(芸能人も含めて)を注ぎ込むが、これは、映画祭とは名ばかりの完全に中国のプロパガンダなのだ。中国の威光を担保するようなことに、なぜ日本は無駄な努力をするのだろうか?。
先の関係者の「私たちは、本当にいい作品を選んでいるんです」と言う言葉が痛い。おそらくも何も本当にそうなのだろう。日本人は生真面目だから。でも、やはりナイーブ過ぎる。

〈次号へつづく〉