1962年生まれ。長崎県出身。
92年、初の劇場公開映画『二十才の微熱』は、劇場記録を塗り替える大ヒット記録。
2作目の『渚のシンドバッド』(95’)は、ロッテルダム国際映画祭グランプリ他、数々の賞に輝いた。
人とのつながりを求めて子供を作ろうとする女性とゲイカップルの姿を描いた3作目『ハッシュ!』(02’)は、第54回カンヌ国際映画祭監督週間に正式招待され、世界69各国以上の国で公開。国内でも、文化庁優秀映画大賞をはじめ数々の賞を受賞。
6年振りの新作となった『ぐるりのこと。』(08’)は、女優・木村多江に数多くの
女優賞を、リリー・フランキーには新人賞をもたらし、その演出力が高く評価された。
7年ぶりの長編となった『恋人たち』(15’)は、第89回キネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得したほか、数多くの映画賞に輝いた。
2014年10月1日
最近、ある宣伝部の女性と話していたら、こんな話になった。
「映画の宣伝の世界もやりにくくなりましたよ。まず、ライター、記者の質が下がった。取材に来るのに、遅刻して来ても謝りもしない。中には、映画も見て来ない人間もいるから、質問も当然考えていない。一体何しに来てるんだろうと思う」と。
『ぐるりこと。』の中でも、作家の文章を勝手に変えてしまう若い編集者を描いた。あのエピソードは僕の体験なのだが、ある取材でその話をした。すると、その場に同席していた有名雑誌の編集長が、「だって原稿って変えるけどな」と悪びれずにコメントした。
じゃ、作家は?、ライターの存在意義は?。いらないじゃん。全部あんたが書けばいいじゃんと思う。
これも、ある取材でのこと。調度、アメリカのオバマ大統領の就任演説があった翌日だった。
取材の部屋に入るなり、新米の若い兄ちゃんライターが興奮して話しかけてきた。
「すごいっすよね!、昨日見ました?」。何のことか聞くと、その演説の事を言っている。
「世の中変わりますよね!」と同意を求めてくる。「それは、黒人が大統領になったから?」と聞くと、「そうです!」と胸を張って答える。そんなに世の中単純か?と思ったが、その兄ちゃんは、これからライターとして活躍していこうという大志に溢れていることは理解できた。たぶん、自分の書いた文字によって世界を変えてやるぐらいの闘志に燃えていた。
それは、いい。おやりになればいい。しかし、その後、前後の脈絡もなく、僕の子供時代の話になった。
「小さいころ、マンガ本をたくさん持ってた。本棚に並べたら格好いいなと思ったけど、本棚を買ってもらえなかった」という話をした。
上がってきた校正原稿を見ると、“幼少のころ父親に虐待された”と書いてあった。びっくりして取材を思い返し、本棚のエピソードが虐待に変わったことに思い当った。もちろん嘘なので、赤線を入れて“トルツメ(削除の意)”と書いて送り返したが、そのまま“虐待された”で出版された。
当時、僕の父は癌に様々な病気を併発して闘病の中にいた。その父が、どこかでその記事を読むか、あるいは人の噂で“あの人、息子を虐待してたらしいよ”などと中傷されるかもしれない。そう思うと切なくてたまらなかった。
要するに、この兄ちゃん、自分の書く文章をドラマティックにしたかったのだろう。
「俺は人のインタビューをただまとめるだけのライターでは終わらない。俺は、すげぇノンフィクションを書くんだ!」。おそらく、そんな事だろう。
でも、思う。それなら、人の人生を使わず、自分の腕だけで勝負してほしい。
こういう人、最近、すごく多いんです。自分の意見を取材対象であるこちらに同意させて、さもこちらが発言しているかのような形にして自分の主張を言おうとする人。
あ〜面倒くさい!。自分の名前で、自分の言葉で、自分の文字で勝負して下さい!と思います。
職業倫理なんて話を持ち出しても、こういう人達には届かないし、そんな道徳論も通用しなくなっているんですね。
こんな出来事がある度に、「仕事ってなんだろうな?」という思いに駆られてしまいます。
前回にも書きましたが、例えスポットライトは当たらずとも、自分の好きな仕事をただひたむきにやる。それが、人を幸福にしていくのだと僕は思うんだけど違うのかな?。