リリーフランキーさんが、「女優はみんな性格が悪いと思ってたけど、木村さんはいい人だ」と冗談で笑っていたが、多江ちゃんは本当にいい人だ。というか普通の人だ。そして、気持ちの綺麗な人だ。
先日、若い役者さん相手に、「役者は、演技のテクニックも大事だけれど、人柄のほうが大切だ」と言ったら笑われた。だけど、何か本当にそう思う。
『ぐるりのこと。』が、多くの皆さんに愛していただいたのも、多江ちゃんとリリーさんの誠実な人柄が映画全体を覆っていたおかげで受け入れられたのだと。
　多江ちゃんと初めて会った時、僕は、「翔子（役名）は僕です。僕は、木村多江のドキュメンタリーを撮るつもりでやります」と言った。そして、出演を承諾してくれた多江ちゃんは、自分を投げ出すように全身全霊で演じてくれた。本当に感謝している。
　撮影の中盤にこんな場面があった。子供を亡くし、心身共に疲れ果てている主人公の翔子（木村多江）が、本屋で小さな子供を誤って転ばしてしまい、それまで抑えていた感情が溢れ出してしまうという場面。
テストを何回も繰り返し、さあ、いざ本番。本屋の店内を泣きながら駆け抜ける多江ちゃん。カットをかけ、多江ちゃんの所まで走って行くと、彼女は床にへたり込むようにいて、僕の目をじっと見た。僕は、その全力を出し切っている姿を見て、一瞬躊躇したが、「もう一回いこう」と声を掛けた。多江ちゃんは、黙って力強く頷いた。そして、やりきった。
僕は、その時の多江ちゃんの目を忘れられない。一緒に闘っている戦友のように思えた瞬間だった。
夜を徹しての撮影が終わったのは朝の７時。ヘトヘトだった。しかし、何とも形容しがたい、モヤモヤしているが身を裂くような場面を撮れた満足感を感じていた。
　ある時、女性スタッフ数名が僕のところへやってきた。何事かと思ったら、口々にこう言った。
「監督、お願いだから木村さんに言ってやって。もう役作りしないでいいって言って」と。最初、何のことか分からなかった。聞くと、多江ちゃんがどんどん痩せていってるので、女性スタッフが心配し、見るに見かねて僕のところへ来たのだと言う。その事を多江ちゃんに話すと、「私より、監督の方がどんどん痩せていってたもん」と、後で多江ちゃんと笑ったのだが、本当に身を削る撮影だったと思う。
　多江ちゃんは、山場を撮り終えると２週間程の休みがあった。その間こちらは、リリーさんが出演する裁判の場面を撮影している。その後、多江ちゃんが登場する最後の場面の撮影だ。
　その撮影当日、現場に現れた多江ちゃんは、ふっくらと晴れやかな顔をしていた。そして、「ああ、もうすぐ撮影が終わっちゃう」と名残惜しそうにしていた。そんな多江ちゃんを見て、リリーさんは、「今日の翔子（役名）は綺麗だ」と繰り返していたが、その日の多江ちゃんは本当に綺麗だった。
　一人の人間の明と暗を全身全霊で演じきり、何かに祝福されているかのように輝いていた。決して大げさな言い回しではない。
　少しづつ少しづつ確かなものを手繰り寄せて、トンネルを抜けたその先へたどり着ける人。何かを作り上げることができる人。そんな人は、人として゛よきもの゛を持っている人だと僕は思う。