2013年8月1日

木下惠介

少女は、どんなにか心細かったろう、どんなに悔しかったろう。
何をして欲しいわけではない、ただ今の自分の気持ちを聞いてほしい、分かってほしい。自分がどんな思いで生きてきたか誰かに知っておいてほしい。それだけだったろうと思う。
「そうね、苦労したでしょうね」。先生の一言は、何でもない一言に聞こえるが、あの少女はどんなに救われたであろうか。
上っ面の同情ではない、自分の芯から発せられた共感の言葉だったからこそだ。
木下監督には失礼だが、若い頃は、この場面をお涙頂戴のようにとらえていたかもしれない。
数年前、僕はある詐欺被害にあった。悪夢としか言えない数年間を過ごし苦しむだけ苦しんだ。最後には力尽きて、少女と同じように、たった一人で冷たい床の上にただ横たわり何カ月も涙を流し続けていたことがあった。
その時、僕には大石先生のように「橋口さんつらかったね」「大変だったね」と言ってくれる人は一人もいなかった。だから分かるのである。そんな一言が、どれほど人を救うのか。
ただ、その一言が中々言えないのが人間でもあるのだろう。人の痛みを知る人間になろう、と良く言うが、それは非常に難しいことでもある。
人間という者は勝手なものだ。自分が同じ体験をしないと分からないとは。自分に苦笑いしてしまうが、そんな経験をしてみて初めて、先の場面で描かれていることが理解できた。
同時に、人間の孤独、人生の厳しさというものを本当に理解していなかればこの場面は描けなかったということも分かる。
そして、その根底には、「何故、個人の人生が、何者かによって踏みにじられなければならないのか!」という激しい憤り、怒りというものがある。お涙頂戴、女々しいなんてとんでもなかったのである。
  未見だった木下映画を何本も観た。そのどれもが、強く、厳しく、だからこそ描き出せた美しさがあった。そして、『永遠の人』のような、数十年に渡って憎しみ合う夫婦の姿を描いた映画であっても、見終わると不思議と澄み切ったきれいな感情が残っている。
若い頃は、表層の抒情やセンチメンタルな部分しか目に入らず理解出来なかった木下映画の深さを今理解出来て嬉しく思っている。そして、つくづく映画というものは漫然と見ては駄目だなと恥ずかしくも思う。
 かつて木下惠介という本物の映画人がいて、本物の映画を作っていたことを知ってほしい。そして、その人は、世界の理不尽さに怒り、人に対して圧倒的共感を持って人生の厳しさと美しさを描き続けた。僕もそうありたいと心から思う。
昨年、木下惠介生誕100年を記念するお仕事に関わらせていただいた。『二十四の瞳』のブルーレイ化にあたり、新予告編を作るというお仕事だ。
名作中の名作の新たな予告篇。このプレッシャーたるや!。何度もお断りしようかな?と逃げることばかり考えながら、特典映像撮影のために映画の舞台となった小豆島も訪れた。小豆島の美味しいお水、お米、そうめん、そんなものを御馳走していただきながら、「ああ、もうこれで逃げられない」などと頭を抱えていた。
映画の舞台となった地を訪れることは今までなかったが、中々感慨のあるものである。
大石先生と子供たちが記念写真を撮った浜べ、子供たちが大石先生をお見舞いに行こうと相談する岬。様変わりしてホテルが建った場所、まったく変わらない山の稜線。映画の時間と現実の時間が交差して懐かしさと寂しさも感じさせる。
小豆島、よい旅でした。