懐かしい時が流れる場所へ。
あの名画の世界が、ここにあります。
小豆島町田浦地区よりさらに700M南、瀬戸内海を見渡す海岸沿い約1万平方Mの敷地に大正・昭和初期の小さな村が出現しました。
これは、映画「二十四の瞳」(監督:朝間義隆、主演:田中裕子)のロケ用オープンセットを改築したもので、あの名場面がここで撮影されました。
木造校舎、男先生の家、漁師の家、茶屋、土産物屋・・・。
また、壺井栄文学館では、生前壺井栄が愛用していた調度品や各作品の生原稿などを展示しており、映画館「松竹座」では、「二十四の瞳」を常時上映しています。
「キネマの庵」では、1950年代日本映画の黄金期の名作の数々を映像と写真で紹介したギャラリーや、アルマイトの食器が懐かしい給食セットが楽しめます。
数々の名作は、今なお語り継がれていく。
この島が生んだ稀代の女流作家。
明治32年(1899)8月5日、醤油の樽職人である岩井藤吉、妻アサの五女として坂手村(現在小豆島町坂手)に生まれた。
幼少にして家計が傾いたため、他家の子守をしながら坂手小学校へ通い、内海高等小学校を卒業。村の郵便局、村役場等に勤め、傍ら文学書を読む。
大正14年(1925)同郷の壺井繁治をたよって上京、彼と結婚した。夫の繁治や黒島伝治、佐多稲子などのプロレタリア詩人、作家の影響をうけ、昭和13年(1938)処女作「大根の葉」を文芸に発表。以来「暦」「初旅」「母のない子と子のない母と」等、300篇にのぼる作品を発表し、新潮文芸賞、児童文学賞、芸術選奨文部大臣賞、女流文学賞などを受ける。
中でも昭和29年(1954)木下恵介監督の手で映画化された「二十四の瞳」は一躍有名となり、今日の観光小豆島の盛況の端緒を開いた。
昭和42年(1967)6月6日、死の直前に小豆島町名誉町民に推挙され、同月23日67歳、東京で没した。