壺井栄文学館
●開館時間:9:00~17:00
●休館日:なし
〒761-4424
香川県小豆郡小豆島町田浦甲931番地
二十四の瞳映画村内
TEL.0879-82-5624 FAX.0879-82-3090
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主な展示品
文学館には、壺井栄の代表作『二十四の瞳』の原稿、愛用品、数々の初版本のほか、詩人壺井繁治、作家黒島伝治の書簡や色紙などを展示している。
木製の応接セットやいろりの部屋は、繁治・栄夫妻が住んでいた白鷺(東京)の家から、文学館に移し再現した。
ビデオ「壺井栄文学のこころ」(13分)も備えている。
小説『二十四の瞳』の自筆原稿と
初版本(昭和27年12月25日発行) -
三人の作家
小豆島から、作家の壺井栄と黒島伝治、詩人の壺井繁治、三人の文学者が生まれた。こういう現象は全国的にも珍しい。
三人とも、苦しい生活の中から自らの文学を築きあげ、日本の文学史に力強い足跡を残した。
中でも、栄の活躍はめざましく、代表作『二十四の瞳』は“小豆島ブーム”を呼んだほど、全国から注目された。
繁治は、激しい弾圧の嵐の中で詩を書きつづけ、『壺井繁治全詩集』など、日本の近代詩に残した業績は大きい。
伝治も『二銭銅貨』をはじめ、プロレタリア文学の旗手として名作を次々と発表、永遠の文学として評価されている。
館内図
① ふるさとを愛した壺井栄
文学館のメインコーナー。名作『二十四の瞳』の原稿を中心に、栄の年譜、数々の文学賞受賞の足跡などを紹介
- 小説『二十四の瞳』が最初に発表された雑誌「ニューエイジ」
- 栄が愛用した万年筆、ペーパーナイフ、眼鏡など
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② 島の娘岩井栄
栄の賞状、アルバムなどを展示
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③ 応接セット
壺井家で実際に使用していた応接セット
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④ 壺井繁治
詩人 壺井繁治(つぼいしげじ)の色紙、書簡などを展示
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⑤ 壺井家再現展示
繁治・栄夫妻が住んでいた白鷺(東京)のいろりの部屋を再現
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⑥ 黒島伝治
作家 黒島伝治(くろしまでんじ)の初版本や愛用の着物などを展示
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⑦ 栄文学と映画
栄の文学作品の映画化は16編を数え、ポスターやスチールなどを展示
数々の名作は、今なお語り継がれていく。 小豆島が生んだ女流作家。
壺井栄のおいたち
明治32年(1899)8月5日、醤油の樽職人である岩井藤吉、妻アサの五女として坂手村(現小豆島町坂手)に生まれた。
幼少時に家計が傾いたため、他家の子守をしながら坂手尋常小学校へ通い、内海高等小学校を卒業。村の郵便局、村役場等に勤める傍ら文学書を読む。
大正14年(1925)同郷の壺井繁治をたよって上京し結婚した。繁治や黒島伝治、佐多稲子などプロレタリアの作家の影響をうけ、昭和13年(1938)処女作『大根の葉』を文芸に発表。以来『暦』『初旅』『母のない子と子のない母と』など、小説、随筆を1,500篇あまり発表し、新潮社文芸賞、児童文学賞、芸術選奨文部大臣賞、女流文学者賞などを受ける。
中でも昭和29年(1954)木下惠介監督で映画化された『二十四の瞳』は一躍有名となり、今日の観光小豆島の盛況の端緒を開いた。
昭和42年(1967)5月3日内海町(現小豆島町)名誉町民の称号が与えられる。6月23日67歳、東京で没した。
- 明治32年 (1899)
- 8月5日、香川県小豆郡坂手村(現小豆島町坂手)に父岩井藤吉、母アサの五女として生まれる。
- 明治43年 (1910) 11歳
- 父の商売が得意先の醤油屋の経営不振により傾き、借金がかさみ破産。
- 明治44年 (1911) 12歳
- 坂手尋常小学校卒業。一等賞を受ける。
- 大正 2年 (1913) 14歳
- 内海高等小学校卒業。
- 大正 3年 (1914) 15歳
- 村の郵便局へ勤める。月給2円。
- 大正 6年 (1917) 18歳
- 過労で肋膜炎を患い郵便局を退職。
- 大正 9年 (1920) 21歳
- 村役場に勤める。
- 大正14年 (1925) 26歳
- 上京。壺井繁治と結婚。東京府豊多摩郡世田谷町字三宿に住む。
同町太子堂の借家に移る。隣に林芙美子、近くに平林たい子が住んでいた。
昭和12年 (1937) 38歳- 昭和3年~9年にかけ、繁治は思想犯で入出獄を繰り返す。
宮本百合子の力添えで『大根の葉』が「文藝春秋」に載ることになっていたが実現せず、翌年「文藝」に載る。
- 昭和16年 (1941) 42歳
- 『暦』で第4回新潮社文芸賞受賞。最初の随筆集『私の雑記帖』を刊行。
- 昭和22年 (1947) 48歳
- 『浜辺の四季』『妻の座』を発表。
- 昭和27年 (1952) 53歳
- 『二十四の瞳』を雑誌「ニューエイジ」に発表。
『坂道』『母のない子と子のない母と』が評価され第2回芸術選奨文部大臣賞を受ける。
- 昭和30年 (1955) 56歳
- 『雑居家族』を発表。
『風』で第7回女流文学者賞を受ける。
- 昭和37年 (1962) 63歳
- NKHテレビ小説で「あしたの風」が1年間放映される。
- 昭和42年 (1967) 67歳
- 病床の栄に内海町(現小豆島町)名誉町民の称号が与えられる。
6月23日喘息発作で死去。「みんな仲よく」が最後の言葉だった。
- 昭和45年 (1970)
- 小豆島町坂手・向いが丘に文学碑が建つ。
- 平成 4年 (1992)
- 壺井栄文学館開館。
明治30年(1897)~昭和50年(1975)詩人
小豆郡苗羽村大字堀越(現小豆島町掘越)生まれ。
早稲田大学英文科退学。大正11年(1922)個人雑誌「出発」創刊。
「詩人会議」運営委員長。著書に『風船』『壺井繁治全詩集』など。
堀越に「石は億萬年を黙って暮らしつづけた その間に空は晴れたり曇ったりした」の詩碑がある。
明治31年(1898)~昭和18年(1943)作家
小豆郡苗羽村(現小豆島町苗羽)生まれ。
父兼吉はイワシ綱漁と農業を兼業。大正8年(1919)早稲田大学高等予科英文学科入学。徴兵。
著書に『軍隊日記』『二銭銅貨』など。苗羽に「一粒の砂の千分の一の大きさは世界の大きさである」の文学碑がある。