壺井栄の生い立ち

明治32年(1899)8月5日、醤油の樽職人である岩井藤吉、妻アサの五女として坂手村(現在小豆島町坂手)に生まれた。幼少にして家計が傾いたため、他家の子守をしながら坂手尋常小学校へ通い、内海高等小学校を卒業。村の郵便局、村役場等に勤め、傍ら文学書を読む。大正14年(1925)同郷の壺井繁治をたよって上京、彼と結婚した。夫の繁治や黒島伝治、佐多稲子などのプロレタリア詩人、作家の影響をうけ、昭和13年(1938)処女作「大根の葉」を文芸に発表。以来「暦」「風」「母のない子と子のない母と」等、随筆や雑誌掲載を含めると、約1,500篇にのぼる作品を発表し、新潮社文芸賞、児童文学賞、芸術選奨文部大臣賞、女流文学者賞などを受ける。中でも昭和29年(1954)木下惠介監督の手で映画化された「二十四の瞳」は一躍有名となり、今日の観光小豆島の盛況の端緒を開いた。昭和42年(1967)6月、死の直前に内海町(現小豆島町)名誉町民に推挙され、同月23日67歳、東京で没した。

主な展示品 文学館には、栄の代表作「二十四の瞳」の原稿、栄の愛用品、数々の初版本のほか詩人壺井繁治、作家黒島伝治の書簡や色紙などを展示している。木製の応接セットやイロリの部屋は、繁治・栄夫妻が住んでいた白鷺(東京)の家から、文学館に移し再現した。 ビデオ「壺井栄文学のこころ」(13分・常時上映)も備えている。

三人の作家 小豆島から、作家の壺井栄と黒島伝治、詩人の壺井繁治三人の文学者が生まれた。こういう現象は全国的にも珍しい。三人とも、苦しい生活の中から自らの文学を築き上げ、日本の文学史に力強い足跡を残した。中でも、栄の活躍はめざましく、代表作「二十四の瞳」は"小豆島ブーム"を呼んだほど、全国から注目された。繁治も、激しい弾圧の嵐の中で詩を書きつづけ、「壺井繁治全詩集」など、日本の近代詩に残した業績は大きい。伝治も「二銭銅貨」をはじめ、プロレタリア文学の旗手として名作を次々と発表、永遠の文学として評価されている。 小説「二十四の瞳」の生原稿と初版本 (昭和27年12月25日発行)

館内案内

案内図 各コーナーをクリックしていただくと 右側に詳細が表示されます。

案内図

 
 
 
 
 
 
 

ふるさとを愛した壺井栄

ふるさとを愛した壺井栄

文学館のメインコーナー。名作「二十四の瞳」の原稿を中心に、栄の年譜、数々の文学賞の足跡などを紹介

ふるさとを愛した壺井栄

ふるさとを愛した壺井栄

右:小説「二十四の瞳」が最初に発表された「ニューエイジ」
左:栄が愛用した萬年筆、ペーパーナイフ、眼鏡など

応接セット

応接セット

壺井栄愛用の応接セット

島の娘岩井栄

島の娘岩井栄

島の娘 岩井栄コーナー

壺井繁治コーナー

壺井繁治コーナー

壺井 繁治(つぼい しげじ)コーナー

黒島伝治コーナー

黒島伝治コーナー

黒島伝治(くろしま でんじ)コーナー

栄文学と映画

栄文学と映画

栄の文学作品に映画化は16編を数える。このコーナーでは、映画のポスターやスチールなどを紹介

壺井家再現展示

壺井家再現展示

壺井繁治・栄が住んでいた白鷲(東京)のイロリの部屋をそのまま文学館に再現した。

 

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