2025年04月30日

『父と暮せば』深田プロデューサー

 一本の映画を作る時には不思議な磁場が生まれる。
 個性の強い人間たちが何十何百人と集まり、監督の目指す〝そこ″へ向かって気を吐くのだから、集まったエネルギーが渦巻いて想定外の出来事が度々起こる。それは、奇跡の様な瞬間であったり、日常生活では起こりえない人間の性(さが)に由来する事だったりする。
 そんな時、僕は秘かに「ああ、この作品は映画として命を持って動き始めたな」と安堵する。後は生まれた波に乗りながら舵取りに専念すればいいのだ。

 さて、まもなく桜も散ろうかというある夕刻、毎年恒例のお花見の会を開いた。といっても、いつもの松竹の関係者や役者とのただの飲み会なのだが、その日はあるサプライズがあった。
映画『恋人たち』のプロデューサーであり、『ハッシュ!』から二十数年来のお付き合いである深田誠剛プロデューサーが、35年間務めた松竹映画を定年退職された慰労会というサプライズだ。
参加した面々から「お疲れ様」の言葉を受けて、深田さんも感極まった様子だった。そこで、35年間の松竹映画人生のハイライトは何か聞いてみた。
深田さんは迷うことなくこう答えた。「それは、『父と暮せば』(2004年公開)と『恋人たち』(2015年公開)ですね」。
そして、「随分前のことだから時効かな」と前置きしたうえで、映画『父と暮せば』製作当時の思い出を語り始めた。

 『父と暮せば』は、1994年9月こまつ座で初演された故井上ひさし氏の代表作。原爆投下後の広島を舞台に、原爆で亡くなった父の幽霊と、生き残ってしまった自分へ負い目を感じる娘の二人の物語。第二回読売演劇大賞優秀作品賞など高い評価を得た舞台である。
 2004年の映画版では、監督に黒木和雄。主演、宮沢りえ、原田芳雄が父娘を演じ、こちらも78回キネ旬主演女優賞受賞など多くの賞を受賞している。
深田プロデューサーによれば、制作は苦しいことの連続で、中でも極めつけは主演男優が撮影開始2週間前に突然降板したことに端を発する諸々の混乱だという。
当初、父役は原田芳雄ではなく某演技派俳優だった。突然、理由も告げずに俳優が降板することは現場ではたまに起こることだが、大抵の場合その映画は頓挫し、制作会社はその損害を被ることになり倒産の憂き目に合うこともある。
日活撮影所にセットも出来ている。製作会社を潰すわけにもいかない。代役を立てての撮影を決断。白羽の矢が立ったのは、黒木監督と旧知の仲であった原田芳雄さんだ。
黒木監督が頭を下げに赴いたが一度目は断られる。2週間の準備期間では余りに時間がないというのが表向きの理由だが、実際、原田さんの奥様は黒木監督を快く思っておらず反対していたらしい。その理由は、「あの監督の作品はギャラをまともに払ったことがない!」だった(笑)。

 しかし、黒木監督から再度懇願され、元々信頼関係があった原田さんは出演を承諾する。すると、すぐに自腹で広島の原爆記念館に足を運び役作りを開始。
それで一件落着とはいかない。今度は、スタッフが二分した。撮影をこのまま続けようという派と、上手くいくわけないから撮影は中止にせよという派で喧々諤々。カメラマンも監督とは真っ向対立。
そんな緊張感の中、宮沢りえと原田芳雄を呼んで脚本(ホン)読みをしようという事になる。日活に完成したセットでの本読み当日を深田さんは振り返る。
「現場は凍り付きましたね。宮沢さんは既にセリフは完璧に入っている。しかし、遅れて参加した原田さんは広島弁のセリフをとちったんです。宮沢さんにしてみたら原田さんは大先輩。でも父親役として自分のイメージが違ったんでしょう。明らかに不満気でした」
この二人の俳優の緊張関係は撮影中もずっと続いたそうである。
「ただ緊張関係は変わらないんですけど、撮影が進んでいくと不思議と二人の芝居の呼吸があって来たんです」と深田さん。
映画の中盤、白黒の回想場面。玄関の掃き掃除をしている父に、郵便局へお使いに出る娘が空を見上げて、「お父さん、B(爆撃機)が何か落としよったが。また暴力ビラかいね」とやり取りを交わしたその時、原爆が爆発する。その場面が、緊張の続いた撮影の最終日だった。
その日は、葉山の古い洋館でのロケ撮影で朝から重い雨雲が広がり、いつ雨が降り出してもおかしくない状況。雨が降れば撮影が出来ない。慌ただしく準備をしていよいよ本番を迎える。
「監督のOKが出た次の瞬間、大粒の雨が降って来たんですよ。すると原田さんが宮沢さんを抱きしめたんです」感慨深そうに語る深田さん。
それまで一切の私語も交わさず緊張関係に合った二人の俳優は、雨に打たれながらいつまでも抱き合っていたという。この時、二人は本当の父娘になっていたのかもしれない。美しい光景だ。
 主演男優にドタキャンされ、継続か中止でスタッフの意見が対立し、主演俳優同士も緊張関係にある。監督にとっては地獄のような状況だ。
それでも映画は出来上がる。そして、この映画の宮沢りえは健気ではかなく、本当に美しかった。
 本番の時、嘘のように晴れたとか、風が吹いて予想だにしない場面が撮れたとか。映画人は、よく武勇伝交じりに現場の奇跡を口にしがちである。しかし、その〝奇跡″は本当に起こるのだ。人の手が作り出す〝奇跡″が。